中古車両
1990年代になると、新しいRV車はセダンのアンチテーゼとしてではなく、
セダンに要求されているものを採り入れたクルマになっていなくてはならなかったのだ。
これに、アメリカでの販売の失敗や総会屋との癒着を糾弾され、
さらにリコール隠しなどが重なって経営危機を招くにいたった。
この危機を乗り越えるために、ダイムラー・クライスラーと提携した。
むこうはアジァでの拠点がほしいこと、
三菱が小型車の開発技術を持っていることが提携の理由で,
彼らの主導で三菱の再生が図られると思われていた矢先の2004年になって、
資本の補強が実現しないばかりか提携関係も暗礁に乗り上げて、
独自に再生の道を探っていかざるを得ない状況に追い込まれた。
三菱は、関連会社の事故による、一時期の低迷からは抜けつつあるようだ。
そんな中、中古車両が社用車で活躍するようになる。
また、リースも最近増えてきているという。
ヤマトリース株式会社
http://www.yamatolease.co.jp/
大赤字
中古車を扱うリース企業も増えてきた。
大型車両であるトラックの需要もあるという。
質問も受け付けているので、こちらのフォームから送付が可能だ。
のちに日産となる第一歩も最初は苦しい道のりだった。
自動車産業という未来的な分野に鳴りもの入りで進出してみたものの、
実用自動車は大赤字を抱えて苦しい経営に終始し、
次第に久保田鉄工の下請け仕事が中心になった。
苦境を打開するために計画されたのが、
快進社力敬組して「ダット自動車商会」となってた橋本増治郎の会社との合併だった。
仲介したのは陸軍の能村中将だった。
資本と生産備のある実用自動車には軍用トラックをつくる技術力がなかったし、
橋本のところは軍トラックはつくったものの、
それを製造するための資金と設備がなかったのである。